【第75回】信じるってどういうこと?
- 西塚孝平
- 2021年6月7日
- 読了時間: 6分
更新日:2021年6月22日
6月8日(火)は7名の参加者と「信じるってどういうこと?」について考えを深めました!
~テーマ設定の背景~
「信じる」という言葉は、もしかするとあまり使う場面はないかもしれませんが、(特に大事な場面などで)よく耳にする言葉だと思います。ただ、どのようなことをすれば「信じる」ことになるのか、なぜ私たちは「信じる」のでしょうか。それに、誰かや何かを信じることは一般的には良いことだとみなされがちですが、それって本当なのでしょうか?そこで今回は、参加者の皆さんと「信じる」の世界を開いてみることにしました。
~信じている(信じていない)ことって何ですか?~
アイスブレイクでは、信じている(逆に、信じていない)コトやモノ、ヒトを教えてもらいました。
何を信じているのかが分からない状況では、なかなか考えづらかった問いでしたが、
皆さんに具体的な場面をイメージしてもらいました。
・サッカーが面白いということを信じる
・家族を信じる
・学校の古典の先生を信じる
・大学の友人を信じる
・運命の存在(人との出会い等)を信じる
・占いの結果の良いときだけを信じる
・物事を続けることに価値があると信じる
・頑張れば成功するということを信じる
・実際に見ていないものは信じられない
・自分の直観を信じていない
信じる対象には、人の言動や人の存在そのものや観念的なもの等様々あり、期待する、勇気づけられる、といった「信じる」の言い換え表現も挙がりました。
~信じられる条件って何ですか?~
次に、「実際に見ていないものは信じられない」という意見に着目しました。この表現によると、実際にサッカーを見ていることがその面白さを信じられる理由にはなりますが、占いの結果は(実際にまだ見ていないので)信じられないことになり、アンビバレントな気がしたからです。「実際に見ていないものは信じられない」とは一体どのようなことなのでしょうか?
・「地球が丸い」のは確かに科学的に事実だと分かるが、どこか信じがたい。
・バイト先の人からある先生が怒りっぽいと聞いたが、私はまだその姿を一度も見たことがない。この時私は、自分の経験を信じる自分でいたいと考えている。
・テレビに映る芸能人は確かに実在すると理解してはいるが、芸能人を実際に目にした時、「本当にいたんだ!」といった驚きや新鮮な気持ちになる。
ここでは、科学的な根拠が「信じる」条件になるとは限らないということが分かります。確かに、芸能人を直接目にするまでは「信じ切れていない」心の状態がどこかにあるかもしれません。そうするとやはり、実際に見たときに初めて「信じられる(信じ切れる)」ということになるでしょうか。
一方で、このような意見もありました。
・占いや運命の存在は、信じたほうが良いから信じる。
これは実際に見ていなくても(経験していなくとも)信じられる状態です。このように、「信じたほうが嬉しい(望ましい)から信じる」では、気分を上げたり、動機づけ、励ましたりするといった、信じることで何かを変えようとしています。
このように考えていくと、何かを信じられるようになるには3つの異なる視点がありそうだと分かりました。
1)自分にとっての励みになるとき:例)占い(実体験が伴わない)
2)実体験(自ら直視)したとき:例)頑張れば成功するという自らの経験
3)(後付け的に)再確認したとき:例)受験で本当に受かったから、それまで教えてくれた先生の言動を信じられる
次にもう1つ、信じられる条件が挙がりました。
・宗教やルール等によって、それが正しいと「信じ込んでいる」場合もある。
先ほどまで話していた「信じる」は自分自身が意志を持って考えるものですが、これは自分の意志とは関係なく「当然」「当たり前」だと思う状態です。この時に私は、どうして「正しい」ではなく「正しいと信じている」という表現をわざわざするのだろうと思いました。あたかもその正しさに、疑いの目がかけられているような印象をもったからです。それについて、別な参加者はこのように答えました。
・対象の不確実なこと(疑いの要素がある)から、人は信じるのではないか。
・「疑っている」状態と「疑っていない」状態の割合の変化が、「信じる」の度合いを決めるのではないか。「宗教を信じる」という言い方は、「疑い」を残してしまうから、使い方としては不適なのではないか。
このように「信じる」は、反対の言葉と考えられる「疑う」や、「信じる」と意味が近いと思われる「疑っていない」との関係の中でも考えられるのではないか、という話題が最後に上がりました。
~参加者の皆さんの感想~
クロージングでは、参加者の皆さんから感想をうかがいました。
・今まで考えなかったことを考えられたので新鮮だった。
・参加してみたらあっという間だった。信じるという言葉でも色々な見方があって面白かった。
・普段こういうことを考えていたけど、そういった話ができて新しい考えにも触れられて楽しかった。
・信じるには色々な解釈があった。抽象的でも自分の経験に即していたこともあった。
・最後の宗教の話が印象的だった。第三者の視点からは疑いがあるし、信者にとっては信じるではなくなる。「信じる」の使い方や意味の幅、違いに注意が向いていきそう。
・考えを理解するので精一杯だった。宗教は日本では身近ではないけど、そこから信じるについて話が広がっていって面白かった。
・色々な話を聞けて勉強になった。信じる条件のまとめに納得した。
ご参加いただき、ありがとうございました!
~ファシリの振り返り~
ファシリテーターを担当した西塚です。
今回の「信じる」はとても難しいテーマでした。耳にはしますが、「そうに違いない」「そうあってほしい」「そうだと思う」のような、別な言葉に置き換わることも多いため、実際に使う機会はそれほど多くないのではないでしょうか。その分、この「信じる」には多くの意味が溶け込んでいることも真実で、今回は「信じる」について仲間の考えの助けを借りながら、主に「信じる」の条件について深く対話ができたように思います。
一方で、肝心の「信じる」の意味については、最初の具体例の部分で細かく尋ねて明らかにするべきだったと反省しています。意味によって条件が変わってくると思うからです。また、今回は出てきませんでしたが、「〇〇の言うことを信じる」といった、自分自身が責任から逃れたり、思考を停止したりするようなネガティブな意味もあるのではないか、と考えました。励まし動機づけるものとしての「信じる」があると同時に、「諦める」(自分ではどうしようもできない)ものとしての「信じる」という側面についても、探求できそうです。もう1つは、「信じる」とその結果についてです。信じた結果は、そのとおりになったり、そうならなかったりします。その時に皆さんは何を思いますか?「仕方ない」「裏切られた気分になる」「悔しい」等、「信じる」対象やその時の自分の状態に応じて、色々な感情が出てくると思います。例えば、医者の手術が失敗してしまった時、「成功すると信じていたのに裏切られた!」と思う人もいれば、「成功すると信じていたけど失敗した。でも仕方がない。」と思う人もいますが、どうしてそのような違いが生まれるのでしょうか。ここには「責任」が1つ関連してくるようにも思います。今回は、信じると原因に着目していましたが、信じると結果の関連性も面白い観点になるのではないでしょうか。
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