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【第77回】信じるってどういうこと?

7月30日(金)は6名の参加者と「信じるってどういうこと?」について考えを深めました!


~テーマ設定の背景~

私たちはふだん、「自分を信じる」「あなたを信じる」「占いを信じる」「地元チームの優勝を信じる」など、「信じる」という言葉を色々な場面で使ったり、見聞きしたりしています。ですが「信じる」は心の状態を指しているので、それが何なのかは意外とハッキリしません。何をすれば「信じる」ことになるのでしょうか、私たちはいったい何を根拠に「信じる」のでしょうか。「信じる」について一緒に考えてみませんか?


~みなさんは占いを信じますか?~

アイスブレイクでは占いを信じるかどうかをを教えてもらいました。

信じるというひとも少しはいましたが、総じて信じないという方が多かったです。


《信じる派》

・正しいとは思っていないけど影響されてしまう。今日の占いとかは正しくないと分かっているのに、気にはかけてしまうのであまり見ない。神社のおみくじなどはみる。

・信じる派。今日の運勢、ラッキーカラーなどは信じてるけどすぐに忘れてしまう。あまり期待していないのかも。

・どっちかといえば信じる派。普段は無関心だが、大事なとき(受験、試合など)は信じる。藁にもすがりたいときには信じる。自信があるときは興味が湧かない。自分の気分や状態で変わるかも。


《信じない派》

・100%信じない派。しかし面白がって見る。初詣、おみくじなどしきたりになっているものはそういうものだと思って楽しむ。

・物的証拠(根拠)がなにもないから信じられない。タロットカードなど人を見てやるものも、誰にでも当てはまるようなことを言っていると思う。

・信じないというより無関心。占いの助言は一度も実行したことがないし、聞いても「あ、そうなんだ」くらいでなにも思わない。

・絶対信じないし占いは嫌いだ。一日の在り方は自分の行いや努力によるものなので、他人にどうこう言われる筋合いはないと思っている。占いを信じて、自分の行動を他人に委ねるのが嫌だ。


~どういうものなら信じますか?~

占いは信じないという方が多かったですが、ではどういったものなら皆さんは信じるのでしょうか?

聞いてみたところ「科学」なら信じられるという意見が出てきました。

・サンプル数が多く、その傾向を一般的に示せている場合(統計的正しさがあるもの)なら信じられる


一方でこれに対して懐疑的な意見も出ました。

・今の科学が正しいわけじゃないと思う。天動説が正しいとされていたように、今は正しいとされていても後になって間違いだったと分かることもある。絶対的に信じられるものではなく、間違っている可能性もある。


ここから「信じる」には0か100かという極端な形だけではなくて「疑いよりも信じられる割合のほうが高いとき信じられる」というように疑いを含みつつも信じるという形もあるのではないかという意見がでました。



ここで少し話が科学から離れて人を信じるという話に移りました。

他人を信じられるか?人を信じるとはどういうことか?について様々な意見がでました。

・どこまで行っても他人を100%知ることはできないから、他人を100%信じることはできない。信じられるのは自分だけだと思う。「知ること」と「信じること」は密接に関わっている。

・「人を信じる」=「裏切られたとしても良いと思えること」。自分が信じたからには裏切られても仕方ない。信じることは責任を自分でもつこと。

・他人を信じない。人はその人の善に従うが、それは人それぞれで自分とは違うから。


信じることと知ること、自分で責任を持つこと、人に期待すること、などなど「信じる」の正体について様々な意見が出てきました。


ここで最初に出てきた科学の話も踏まえ、「信じる」とは2種類に分類できるのではないかという流れになりました。

1つ目は科学、データなど不変なものを対象として信じる場合。これは結果の正しさをどう’’見積もるか’’というのが信じるか否かを決定しているといえそうです。よって信じる上での根拠は過去の積み重ねであったりサンプル数などになってきます。

2つ目は不確定な未来、人の感情等を対象として信じる場合。これはあやふやなものですが、その人の考え方や生き方等をみて信じるか否かを決定しているといえそうです。


この分類に関してこんな意見がでました。

・1つ目は論理的・科学的、2つ目は心理的、直感的と思った。

・福島の原子力発電事故に際して、福島県産のお米や野菜の汚染問題があった。このとき何ベクレル以下だからこのお米は大丈夫と言われても、やはり信じられないという人もいた。データや基準の上では信じる条件を満たしていても(1つ目の条件は満たしていても)無意識のうちに2つ目の条件も加えて判断しているのかもしれない


~参加者の皆さんの感想~

クロージングでは、参加者の皆さんから感想をうかがいました。

・自分で想定してなかった考えとかに出会えて面白かった。

・自分にない考え方や「信じる」という言葉に対する分析を知ることができて面白かった

・参加する前は「信じる」というのは曖昧なものだと思っていたが、対話を通してだんだんイメージしやすいものになった。

・正直途中からは難しく、曖昧にしか捉えられなかったが2つに分類したところで納得がいった。

・最初は信じるという言葉はハードルの高いものだと思っていたが、分類することによって、思ったよりも身近に使っているものだと気づいた

・信じるという言葉を具体的に分解するのは難しいと思っていたが、分類することによって案外みえてくると感じた


ご参加いただき、ありがとうございました!


~ファシリの振り返り~

ファシリテーターを担当した西塚です。

今回のテーマは先月6月8日にも開催しましたが、思っていたよりも非常に深い問いであることが分かったので、改めて再挑戦するつもりで設定をしました。前回同様、やはり「信じる」は難解でしたが、「信じる」についての2つ(+1)の分類が提案されたり、具体例も豊富に挙がったりと、より深く対話が進んだように思います!

 ここでは私なりに整理したことを記しておきます。占いのように科学的根拠がないと「信じる」ことができないという意見もある中で、科学的根拠(エビデンス)が仮にあったとしても「信じられない」場合もあります。例えば、「遺伝子組み換えは安全である」「COVID-19のワクチンは安心である」等、科学的には問題がないと主張されていても、全ての人がそれを「信じる」わけではありません。(実験や検証された)その瞬間は安心・安全であろうとも、何十年か後にそれが真実といえるのかはまだ分からない、という「科学の不確実性・未知性・疑念」を抱くことが理由の1つにありそうです。そして、もう1つ別な理由もあると思います。それは、「信じる」が科学的根拠とは無関係に生まれるときもあるということです。いくら安心・安全と言われたとしても、それを受け入れることに対する抵抗を払拭できないこともあります。他にも、結婚や恋愛をみても、もしかしたら数年後に関係が悪くなって離婚してしまうかもしれないのに(=関係は一生続くという根拠は何であるのか必ずしも明確ではないのに)、その時は「信じ合える」「お互いに疑い、裏切るような感情が一切ない」関係を作ります。こうしたときに使われる「信じる」は「人と科学を結びつける」のではなく、「人と人(非科学的なもの)を結びつける何か」であるようです。具体的に「信じる」には、自分と相手を運命共同体や「ひとつの命」として結びつけ、責任を共有し合うことの意思表明としての側面があるのかもしれませんね。

 「信じる」は科学以外にも、私たちの日々の生活の中に当たり前に成り立っており、まだまだ問いの尽きないテーマと言えそうです。ご参加いただいた皆さん、ありがとうございました!


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