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11月第1回「普通って何だろう?」

  • 執筆者の写真: kikaku SLA
    kikaku SLA
  • 2018年11月26日
  • 読了時間: 2分

11月第一回かんがえるソファ、テーマは「普通って何だろう?」

イベントが始まってまず、学生さん「ホワイトボードにでかでかと“普通”…この状況って“普通”じゃないですよね」と苦笑。そこから、“普通”とは何なのか、という話になり、「“普通”って、“常識”とニアリーイコールな気がする」という意見が。一方で完全に一致はしない、じゃあ何が違うんだろう?という切り口から議論が進みました。“普通”は主観的、つまり自分にとっての“普通”であり、“常識”は客観的、みんなにとっての“普通”なのでは、という流れになります。

“普通”って?“常識”って?ベン図のようなものを書きながらもやもやと考えていると、自分の“普通”とみんなの“普通”ってズレが生じることもあるのでは?という疑問も出てきました。ズレが生まれることと関連して、“常識”は知識のようなもので、“普通”は感覚のようなものでは、だからズレて当たり前なのでは?という意見もありました。あれ、ちょっと待って、「“常識”は知識」?知識だとしたら、どうやって身につけるんだろう?これについて、自分の生活で経験することで、つまり“主観の蓄積”によって身につけるのでは?という意見も。

さらに、「“普通”とは“意義のないもの”」という意見も。これはつまり、ある物を見たときに何か意義付けを行った場合、その物は自分にとって“普通”ではない物、ということ。ここで、議論の序盤から度々登場していたAさんの体験談、“カニカマ・ショック”をこれに当てはめて振り返ってみました。どんな体験談かというと、Aさんは実家で湯豆腐を食べる際にいつもカニカマと一緒に食べていてそれが“普通”だと思っていた…友達はカニカマを入れないということを知り最初はショックを受けましたが、今ではカニカマを入れない湯豆腐が“普通”だと思っている、というもの。これは、Aさんが小さい頃はカニカマ入り湯豆腐を何とも思っていなかったけれど、今ではカニカマ入り湯豆腐が特別な物として意義をもつものになった、つまり意義付けが行われた、ということ。“普通”か“普通じゃない”かには、意義付けが行われるかどうかがポイントになりそうだということが見えてきました。

最後に、“普通”とは自分の世界観と認識が一致した時に生まれる感覚だろうという意見も出ました。世界観とは幼少期から積み重なる経験によって形成されるもので、人それぞれ違うもの。また、変化するものでもあるので、世界観の変化に伴って何が“普通”なのかも変化していくはず…という意見が出たあたりで、今回のかんがえるソファはお開きに。

抽象的な話題で参加学生さんもSLAも大変でしたが、“普通”についてかなり深く掘り下げられ、皆さん楽しそうでした!

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