2019年7月第2回「大学生、これでいいの?」
- 西塚孝平
- 2019年8月16日
- 読了時間: 4分
今回は「大学生、これでいいの?」というテーマで、参加した3名の学部生と対話を始めました。 まずは自由にこのテーマに関する意見を集めてみました。 すると、ある参加者から「単位を取ることが目的になっていて、本来の姿を失っている」という発言がありました。では、「本来の姿とは何なのか?」と尋ねてみると、「テストがあるから、ではなく、学問を面白いと思っているから勉強する」のが大学生像だといいます。しかし、面白さを感じるものだけを勉学や研究の対象として良いのか、そしてそれは果たして可能なのでしょうか。別な参加者はこう発言しました。「やりたいことをやるためにやらなきゃいけないことが大変になる。やりたいことをやるために楽な授業をとるのもアリではないか」。つまり、あまり負担をかけないように必修科目の単位を取得することもあるというのです。 発言が出尽くしたところで、対話の内容を客観視する作業をしてみました。すると、ここで話されていた内容には、あくまで興味関心の対象が既にあるという前提がありました。大学生には大きく分けて二つのタイプがいるようです。一つ目は既に抱いている関心事を学問する場合、もう一つは講義を受けるうちに分野領域に関心をもち始める場合です。特にそれまで馴染みのないボランティア活動は後者に当てはまるといえそうです。 では、参加者の皆さんの経験はどうでしょうか。ある参加者が次のように発言しました。「専門の数学は楽しいけど、役に立つかと言われると…」。ここで、役立つかどうか、つまり有用性という新しい観点が出てきました。 大学で学んだことがどんな役に立つのでしょうか。そして、役立つかどうかを講義に取り組む一つの判断手段として良いのでしょうか。例えば研究では、研究を続けていた結果、社会に役立つ原理や理論、道具、製品が生み出されることはありますが、それは必ずしも未来からの逆算思考で達成されているわけではありません。一方で、ある参加者から「思考の形式が社会に出てからも役立つのだ」という視点が提示されました。肝心なのは内容の習得ではなく、内容を通して何を身につけるかである、という意見は、一時的に参加者から一定の納得がありました。 しかし、それは「就活では、自分が会社のなかでどう役に立つのかをアピールする必要があるのだ」という意見によってすぐに揺らいでしまいます。すぐさま他の参加者が「就活で役立つのは学問内容のことなのか、内容を応用する力のことなのか?」と問いました。すると「やはり理系では内容が重要であろう」と。 とはいえ、学んできた内容を伝えるだけでは大学生は単なる知識を所有した人でしかありません。ある参加者がこうつぶやきました。「でも大学って学問の意味を教えてくれないよね…」。私たちが学んでいる内容、研究している内容は、社会にどう還元されうるのか、どのように社会に貢献することができるのでしょうか。どうやら日頃、私たちはそれを真摯に考える場をあまり持っていないことが分かりました。 このようなプロセスを経て「大学と社会の分離」という問題に話が進んでいきました。つまり、私たちの興味関心や有用性は社会の顔色をうかがいながら決定づけられる側面があるという、新しい話題の次元に上向していきました。 では、この間隙を私たちはどのように埋めることができるのでしょうか。今一度、大学生活を社会に出る準備期間(助走をつける特別な時間)という意味で捉え直す必要がありそうです。 そこで私たちは、大学における「学問をしない場」に目を向けてみることにしました。大学生は研究の他にもアルバイト、学友会、インターン、一人暮らし等の、様々な特別な出来事と、留学生や考え方が異なる人に囲まれた特別な環境に置かれています。ここでは、「人間関係から生成される豊かさ」が潜在的なキーフレーズになりました。 以上の対話を経た後に、対話のまとめとして、改めて「大学生、これでいいの?」という問いと向き合いました。すると、「社会とのつながりや意義が見いだせれば、授業にもやりがいを感じられそうだ」「専門ばかりだと社会から離れてしまうので、他の領域と関われる場があればいい」といった考えが出てきました。
今回は、「大学生、これでいいの?」というあまり哲学性を含まないと思われる問いを哲学的な問いに落とし込む挑戦でもありました。次の対話を始めるために、「興味関心とは何か?」「有用性とは何か?」「人間関係がなぜ必要なのか?」といった観点に踏み込む必要性を全員で共有しました。

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