2019年10月第32回「目標をもつことにどんな意味があるのか?」
- kikaku SLA
- 2019年10月29日
- 読了時間: 3分
更新日:2021年6月22日
今回のかんがえるソファのテーマは「目標を持つことにはどんな意味があるのか?」 初めに、目標について何人かの参加者から経験談があげられました。自分にとって目標は原動力であり、目標があることで自分の普段の行動一つ一つにも意味がうまれる。あるいは、自分は目標を立てることが苦手で、その場の「これやりたい」というある種欲望に近い感情で動くことが多い…。 経験談が話されるなかで、「人によって目標は違うのか」「目標は無くてもいいのか」「嫌々決める目標とそうでない目標があるのではないか」という疑問が出てきて、最後の疑問について少し話が深まっていきます。例えば、「将来看護師になる」という大きな目標には、「看護師になるために必要な科目の単位を取得する」という小さな目標が存在します。大きな目標はポジティブに、そこに到達するための小さな目標はネガティブ捉え方になるのでは?という意見がありました。 そして、目標の“意味”について議論が進んでいきます。まず、ある参加者は、「昔科学者になりたかったけど、科学者になることの意味って何かと考えたとき、絶対的な根拠を見つけられなかった。目標というのは、意味や根拠を求めてはいけないものなのかもしれない」と言います。これに対しては、「物理学者」という“存在”に理由付けは難しいけれど、「なぜ物理学者になりたいのか」という自分の“原点”に理由を付けることはできるはずだ、という意見があがります。また、そもそも根拠は後からついてくるものだとする意見もありました。例えば今は純粋に「楽しそう」という動機で履修している授業も、後から振り返ってみれば目標の達成につながっていることもある、とのことでした。この「根拠は後付け」という意見には、共感している参加者が多かったように思います。 そして、大きな目標を達成するにあたって、小さな具体的な目標を定めることは、ともすれば自分の可能性を狭めるリスクにもなるのではないかという話が出ました。これについては、“リスク”というよりは、小さな目標というのはあくまで大きな目標を達成するための“手段”にすぎないのではという意見があがりました。
小さな目標、大きな目標という話の流れを受けて、目標の上には、「~したい」という欲求のようなものが存在するのでは?という話になりました。目標の上に存在する、自分にとって譲れないものを、「幹」「芯」と表現する参加者もいました。この「幹」を中心にして、色々なものを取り込みながら、場合によっては思ってもみなかった分野に「接ぎ木」していくこともあるとのことでした。この参加者は「幹」をはっきりともっていればそれを達成するための目標はふわふわしていても構わない、むしろ可能性を狭めないためにも目標は具体的に定めないようにしている、結果として全く異なる分野に進んでいくこともありえる、ということを話してくれました。一方で、自分は「幹」を中心に据えてその周りの目標もはっきりしており、その目標に応じて日々の選択も行っている、という参加者もいて、「幹」の持ち方は人それぞれのようでした。 最後に、「信念」「夢」「目標」という言葉の意味について、話が広がります。「信念」とは、自分の中で譲れないもの、すなわちこれまで話にあがった「幹」に近いものであり、自分の存在意義を示すものでもある。ただ、「信念」は抽象的でふわふわした一面ももっていて、現実に落とし込むために「夢」が必要なのではないか。そして、「夢」を叶えるために「目標」が必要なのではないか、という意見があがりました。「夢」と「目標」の違いについては、「夢」には叶えられるという確信が無い一方で、「目標」はある程度叶える前提でたてるものなのではないか、という話があがりました。 抽象的な表現もたくさん登場してなかなか難しい内容でしたが、色々な視点・意 見が出てきて盛り上がったソファでした。


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