【第50回】第二外国語って必要?
- 飯田司
- 2020年6月17日
- 読了時間: 3分
更新日:2021年6月22日
オンライン「かんがえるソファ」を6月10日(水)に実施しました!
6名の方にご参加いただき、
Zoomに2つの場を設けての開催となりました。
テーマは
「第二外国語って必要?」
〇room1(留学生の方1名を含む2名が参加)
みなさんにとって専門科目ってどんなイメージがありますか?
ある参加者は「特化」「専門化」したもの、といいました。
言い換えれば
「一般的な日常から離れた敷居の高いもの」
「一般の人から見たら扱いづらいものを、扱うもの」
といえるかもしれません。
それでは、なぜ「専門科目」は大学生に必要とされるのでしょうか?
「専門は高校までの勉強、大学での教養を経て、社会につながる入口」
という人もいれば、
「自分や他人(社会)の利益に直接つながるビジネスのようなものではなく、
自分の興味や好奇心を満たすだけの『オタク的』なもの」と考える人や、
「『社会の役に立つ』人間になるための『自ら問いを立てる』訓練」
だと考える人もいました。
一方で、「教養科目」が必要とされるのはなぜでしょうか?
教養科目は
「『なりたい自分』の選択肢を広げ、そこから選びとっていく糧になる」という意見や
「専門と掛け合わさって独自のパーソナリティを形成する」という意見が出ました。
そのため、教養科目も大学での学びの専門性を高めている、といえるかもしれません。
教養科目は、単なる専門の”土台”ではないのかも。
〇room2(留学生の方3名を含む4名が参加)
大学は高校以前の学習に比べ、より専門的な勉強をする場所なのに、
どうして教養科目を勉強する必要があるのでしょうか?
「すべての分野は人類の発展を目的とする点で通底しているからこそ、
あらゆる分野を学ぶ必要がある」
「専門以外の分野で身に着けた思考法は、必ず専門でも活かせる」
「多くの分野を学ぶことで、将来役立つ広い視野を得られる」
といった回答が挙げられました。
蛇足ですが、ぼくは一年くらい前に有名になった東大 上野学長の
「大学で学ぶ価値とは、すでにある知を身につけることではなく、これまで誰も見たことのない知を生み出すための知を身に付けることだ」
という言葉を思い出しました。
では、そんな「教養科目」と比較したときに、
「専門科目」はどのようなものといえるでしょうか?
「自分の興味あるもので社会に貢献するためのもの」 「大変でも学びたいものを突き詰められる場」
「社会に出た時の『武器』となるもの」
参加者のみなさんはこのように考えているようですが、中には
「大学が画一的な人材を量産する場所ではつまらないから、
専門科目で大学で学んだ人の多様性がはぐくまれる」
というユニークなアイディアを挙げてくれた方もいました。
ここで
「社会に貢献するためのもの」=社会のために専門を学ぶ
「社会に出た時の『武器』」=自分のために専門を学ぶ
という対比がおもしろいな、と思いました。
これらは、
なぜ自分は大学で学ぶのか、大学で何を学びたいのか、
将来、大学で学んだことをどう活かしたいのか、
といった問いにつながるヒントのように感じました。
このような問いには
自分個人が大学で学ぶことによる「自分の人生における意義」と
自分を含め若者が大学で学ぶことによる「社会における意義」
という二つの視点があるのかもしれません。
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大学での学びが大きく変化した今日この頃において、
みなさんも自分が大学で学ぶ意義とは何なのか、考えてみても面白いかもしれません。
ご参加いただき、ありがとうございました!!
今後かんがえるソファでやってほしいテーマや、普段皆さんが困っていることがあれば、
ぜひこちらのリクエストまでお寄せください!
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