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【第70回】高校までの勉強って、何のためにあったんだろう?

  • 執筆者の写真: kikaku SLA
    kikaku SLA
  • 2021年5月17日
  • 読了時間: 6分

更新日:2021年6月22日

5月17日の2021年度第2回のかんがえるソファは、参加していただいた5名の学生と一緒に、対話を深めました。


テーマ設定の背景

高校から進学してきた学生が大学で最初に直面する課題が、高校の勉強と大学の学びの違いだと思います。この漠然とした違いはいったいどのようなものなのかを考えていくことで、新入生に大学の学びってどんなことなのかを考えてみるためにこのようなテーマを設定しました。



アイスブレイク

アイスブレイクでは、“入学して1ヶ月半…大学の授業はどうですか?率直な感想を教えてください!“という問いで、大学の学びを振り返ってもらい、高校までの勉強と比較するきっかけを作りました。

新入生からは、「科目によって差はあるけど、わかっているという前提の下で授業が進められるため難しい」という声や、「元々対面での学びを求めていたけど、いざ始まってみるとオンデマンド講義のほうが空いてる時間を上手く活用できるので良かった」という声、「時間割としては少ないように感じるけど、実際は課題なども多く大変です」といった声が挙げられており、自分が一年生の頃と同じように苦労している部分もあれば、オンライン講義の普及によりまた違った苦労をしている学生もいるなという印象でした。

アイスブレイクの中で、“対面授業のほうが大学の学びなのか”という疑問が出てきましたが、「高校では教えてもらう授業のほうが多く、大学のほうがよりアクティブラーニングに力を入れていると思う」といった発言もあり、自分自身アクティブラーニングって何だろうと改めて考えるきっかけになりました。



高校までの勉強では何を学んだ?

アイスブレイクの後の最初の話題は、“高校までの勉強では何を学んだ?”ということでした。参加者の回答としては、


数学の場合分けを学ぶことで、実生活でも色々な場合分けを考えながら生活するようになった

勉強そのものは役には立たないと思ったけど、精神的に忍耐力をつけることができた

プロセスというものを意識するようになった

選択肢を広げるためではないかと、大学生になってから気づいた


などといった回答が挙げられました。

 ここから参加者同士での質問も活発にみられるようになりました、各々の考えに対して質問により、考えを深めていっていたように感じました。



高校までの勉強のネガティブな部分は?

次の話題は、“高校までの勉強のネガティブな部分は?”という話題を中心に展開されていきました。

 参加者の回答としては、


受験一辺倒の学習になっていたため自分のやりたいことができなかった

受験そのものが産業化されてしまっているために高校までで学びが収束してしまっているのでは


といった考えが挙げられていました。

 やがて話題の中心は点数主義について移っていきました。参加者の中には点数化よりもその人の内面を見ることが重要であると考えている人や、野菜を例にとって数字にこそ意味があると発言している人もいました。個人的にはこの二つの考え方はどちらでも正しいと思いました。こういった答えのないことについて、時間を取ってじっくりと向き合っていくことができるのがかんがえるソファなのかなと感じた瞬間でもありました。


高校までの勉強と大学の学びの違いは?

 非常に有意義な今回のソファでしたので、終了の時間もあっという間に来てしまいました。最後の話題は、“高校までの勉強と大学の学びって?”ということで、参加者の感想を含めながらのクロージングとなりました。


  高校までの勉強は新聞をざっと読むような感じで、大学の学びはYouTubeのおすすめから自分で好きなものを見ていく感じ

  高校では好きなことも嫌いなこともやるけど、その知識を活かして大学での学びに取り組んでいくと思う

  高校までの勉強は受験のためだが、大学の学びは世の中や次世代のために学ぶのが一番

  資本主義の考え方が広まっているから、高校は大学のための、大学は就職のための予備校化してしまっているのでは

  高校と大学で求められるものが科目によって変わってきて、それが違いになるのでは


といった考えを参加者の感想として聞くことができました。



ファシリテーターの感想

こんにちは!ファシリテーターを担当した西塚です。


今回は「高校までの勉強」について皆さんと考えを深めました。大学1年生になると学習の定義、方法、目的が根本的に変化します。東北大学では「学びの転換」とも呼ばれていますね。それでは、私たちにとって高校までの勉強にはどんな意味があったのでしょうか?また、既習知識が応用できる教科科目以外の学びに関しては、本当に大学とは無関係のものなのでしょうか?こういった思いでテーマを設定しました。


今回の対話の中で、2つ気づいたことがあります。1つは、対話に出てきた「本物の学び」というキーワードです。参加者の多くは、高校までの勉強の大部分は受験という産業化の渦の中に吸い込まれている、という実感が強かったようです。そうであっても、学ぶことへの楽しさや研究の道具を見出したり、答えに至る思考のプロセスを突き進む力を身に付けたりと、肯定的な、しかし限定付きの価値づけもありました。では、大学になると「本物の学び」はできるのでしょうか。社会人になると「本物の学び」はできなくなる…?皆さんにとっての学びの定義は、大切な掘り下げポイントだったかもしれません。


もう1つは、能力以外の側面からこれまでの学習経験をどのように活かせるかという問題です。高校では好き嫌いを問わず様々な領域を学び、「選択肢を広げる」という特徴がありますが、大学では「専門」という名の下で、好きなことを求め、嫌いなことを避けるようになっていきます。数ある選択肢の中から意思決定する時期が大学になるわけですが、その代償として関心の窓をバタバタと閉じてしまうことにならないでしょうか。「専門」の中での選択肢も無限に広がってはいますが、選択できる事柄、幅、仕方は質的に異なるものです。このことと「教養」との間に何か関係はないだろうかと考えました。また、大学生活に慣れてくると、日々の生活リズム、適度な運動と休憩のメリハリ、タイムマネジメントが崩れる学生もいます。もちろん、今までとは違う経験、若いからこそできる経験は貴重だという意見もありますが、高校までの学校教育の中にも、日々の学習(研究)を生産的に進めるための、よくできた生活の知恵や習慣のヒントが仕組まれているかもしれません。


大学生になると、高校までの勉強で「無駄」とも思えるものがたくさんあったと感じるかもしれません。しかし、「無駄」とは何でしょうか?いま、ここで役に立たないものが無駄なのか、無駄はものは本当に存在するのか、いや逆に世の中には無駄しかないのではないか…。大学生は日々の講義・研究、課外活動以外にも、「無駄」と向き合う大切な時期でもあると思えた回でした。


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